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2012年6月24日日曜日

岡本さんの3回忌法要              ~せいたか人形の完成と、呉の旅~

6/23(土)
広島県呉市、神応院にて
岡本さんの3回忌法要が行われました。

以前のメールでも表明したように
「せいたか」人形を3回忌に向けて作成し
岡本さんの墓前で、無事披露する事が出来ました↓

この青い衣装の打ち掛けは
黒谷都姉さんに頂いたものです。

12年来の付き合いで、
岡本さんも「ともだち!」と言っていた
照明の浅川 環と2人で
往復1300キロ、2人で車で
呉まで行ってきました。

法要後、本堂にて。


岡本さんの眠っているお墓です。

「せいたか」とお参り。

岡本さんの生家です。
広島公演、北九州演劇祭に向かう途中など
何度もお世話になりました。

岡本さんの生家の近くのバス停で。
妹さん&弟さん。

岡本さんは長男でしたが、お二人にとっても助けてもらっていました。
普段はほとんど連絡とらないのに
岡本さんが困った時はサッ、と。
素敵な弟妹関係だなあ、といつも思っていました。

呉の港。
水兵さんを沢山見かけました。

帰る前に呉の港を見に行きました。

岡本さんのお墓があるこの地を
私はまた訪れたいと思います。

2012年6月15日金曜日

岡本の残した言葉 ~『存在の軋み・ヒトガタ』より~

今、新しい人形を製作している。
岡本の三回忌に向けて、
新しい人形での新作発表までは漕ぎ着けられなかったけど
今月末に呉に行くので、その際に
岡本の墓前でその人形を披露しようと思っている。

人形を作りながら
何か岡本の公的な文章がとても読みたくなり
岡本の哲学が凝縮された、
「存在の軋み・ヒトガタ」というタイトルの文章を探した。
夏のサミット2002@こまばアゴラ劇場
「ismサミット参加団体による演劇論集」に寄稿した文章だ。
その冊子は見つけられなかったが
映画「VEIN」の公式パンフレットに掲載されていたので
岡本部屋で眺めた。
沢山大事な事が書いてあったが
特に今の私の心に引っかかったのは、

“人形作りは「遣い手が持ったときに初めて完成する人形」をよしとする”
完成され過ぎた人形は遣い手を拒絶するのだ。”



“わずか2メートルでさえ飛び上がる事の出来ない人間の肉体の「動」の限界を(※人形は)「静」によって越える事さえ出来るのである。”

という2つの言葉だった。


2012年6月5日火曜日

悪夢の大事故から8年

6/4は忘れもしない、
今から8年前、どんどろのメンバー5人で
中央道で東京から帰ってくる途中、
大事故にあった。
後方から140キロの猛スピードで走行していた車が
我々の車を追い抜く際に、ハンドル操作を誤って
激突してきた。
凄い音をたてて車は横転し、止まった。
メチャクチャの車内で全員声を出して
無事を確認しあった。
一人返事が無かった。いない?暫し沈黙の後、
車外放出か?!と気づき、唯一脱出出来たサンルーフから
飛び出した。
8メートルくらい先の路肩で発見。
生きてるとはとうてい思えない様子だった。

岡本は後部座席でたまたまシートベルトをしていて無事。
まだ後部座席のシートベルト着用が
義務づけられる前だったにも関わらず。
他の2名も私も無事。
1人だけ重傷だった。

重傷者が救急車で運ばれていって、
私は血の気が引いて立っていられなくなり
高速道路の上で横になった。
そしたら私も救急車に乗せられた。
搬送中、隊員さんに質問された。
「××××なところは無いですか?」(内容は忘れた)
恐縮していた私は
「大丈夫です」と答えたら
「質問にちゃんと答えて下さい!」と怒られた。

病院に搬送されて診察ベッドで
目を開ける事が出来ず、寝ていた。
「大丈夫?目、開けられる?」
医師の優しい声がした。
私はゆっくり目を開けた。
私の顔を覗き込んでいる医師の姿がぼんやり見えた。
そして焦点があって、医師の顔がハッキリ見えた。
私はビックリした。
私の顔を心配そうに覗き込んでいる医師は
バリバリのメイクをした男性だった。
私の目はぱっちり開いた。

診察ベッドから起き上がると
裸足なのに気付いた。

そこにはバックと靴が揃えてあった。
私がダメになってる間
他のメンバーはこういう事を冷静に対処してくれていた。

その後、みんな精神的にも肉体的にも苦しんだ。
1ヶ月、お互いを癒すように残りの4人で
ずっと一緒に過ごしてた。
(岡本はすっかり大丈夫だったけど)

あの頃はどんどろもメンバーも安定して
もっとも穏やかだった時代だったかもしれない。
事故はそれが崩壊する一発目の「音」だったのかな、と
今は思います。