『岡本芳一を偲ぶ 三回忌記念公演』
お陰様で前売り券の方が残り僅かとなってまいりました。
お早めのご予約、お待ちしております。
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2012年10月31日水曜日
2012年10月9日火曜日
定員に達しました・・・“イーラ”
昨年に行き続き
信州みなこい里山泊覧会イーラに参加致しますが、
お陰様で定員に達しましたので
予約受付は終了致します。
それでは当日、百鬼人形の世界と
美味しい五平餅(最近私のマイブームです☆)をご用意して
お待ちしております。
陣屋友の会の皆さんが、会場でもある陣屋の
台所・かまどで炊いたご飯で作られるそうですよ。
きっと友の会の皆さんの五平餅は
引き継がれる家庭の味、こだわりのタレだと思います。
私も楽しみです!
『岡本芳一を偲ぶ三回忌記念公演』は引き続き
ご予約受け付けております。
お席に限りがございますので、
事前のご予約をお勧め致します。
信州は寒くなって来ました。
信州みなこい里山泊覧会イーラに参加致しますが、
お陰様で定員に達しましたので
予約受付は終了致します。
それでは当日、百鬼人形の世界と
美味しい五平餅(最近私のマイブームです☆)をご用意して
お待ちしております。
陣屋友の会の皆さんが、会場でもある陣屋の
台所・かまどで炊いたご飯で作られるそうですよ。
きっと友の会の皆さんの五平餅は
引き継がれる家庭の味、こだわりのタレだと思います。
私も楽しみです!
『岡本芳一を偲ぶ三回忌記念公演』は引き続き
ご予約受け付けております。
お席に限りがございますので、
事前のご予約をお勧め致します。
信州は寒くなって来ました。
2012年10月2日火曜日
『曼珠沙華』@嶺岳寺
9/29(土)に
長野県下伊那郡松川町生田の
嶺岳寺 にて行った【突然限定上演】は
大変盛況のうち、終了致しました。
今日、この日写真撮影をなさった方からお電話がありました。
「背景に群生した彼岸花、そこに水子をたくわえた人形と野仏・・・。
こんな景色、見れるものではありませんよ。感動しました。」
と、おっしゃって頂きました。
今回も突然無茶言って周りの方々に迷惑掛けました。
これは公演ではありませんでしたが
これまで味わった事のない刺激的な気分で舞台に立てました。
素敵な経験を頂きました。
いつも、いつも。ありがとうございます。
長野県下伊那郡松川町生田の
嶺岳寺 にて行った【突然限定上演】は
大変盛況のうち、終了致しました。
撮影/伊藤敦 |
撮影/伊藤敦 |
撮られたくて出没しました。 “彼岸花と人形の世界”を切り取っていって下さいな。 終演後:撮影/伊藤敦 |
終演後の写真、舞台がありますよね。
そうなんです、最初からあったものではないのですよ。
この為に“お父ちゃん大工”が現場に
材料を乗っけたトラックで風のように現れ
チャッチャッチャと作ってくれたのです!
ご住職に、こんな素敵な看板を 用意して頂いていました・・・(感激) |
パフォーマンスに専念して下さい、と 二胡奏者で音楽家の“うみたこ”さんが 音響機材持参で音響に駆けつけて 下さいました・・・(涙) |
なんと、東京より民放局の撮影も入りました。 この模様は関東のみ『風の言葉』で流れると思います。 分かり次第告知させて頂きます☆ |
「背景に群生した彼岸花、そこに水子をたくわえた人形と野仏・・・。
こんな景色、見れるものではありませんよ。感動しました。」
と、おっしゃって頂きました。
今回も突然無茶言って周りの方々に迷惑掛けました。
これは公演ではありませんでしたが
これまで味わった事のない刺激的な気分で舞台に立てました。
素敵な経験を頂きました。
いつも、いつも。ありがとうございます。
2012年9月28日金曜日
2012年9月23日日曜日
初めてはサラエボ(ボスニア・ヘルツェゴビナ)
時間をみて少しづつ
“岡本人形展示室”のこと、進めてます。
そんなわけで、写真の整理してたら、
海外ツアーの写真群に突入しまして・・・。
今日は、沢山行ったどんどろ海外ツアーの中から
総合的な意味で私にとってのベスト3に入る国の1つの
旅写真をご紹介したいと思います。
サラエボ(ボスニア・ヘルツェゴビナ)です。
写真撮影はだいたい岡本さんです・・・。
我々が行ったのは98年。
ここは3年前の95年まで内戦があったので、
爆撃されたままの建物がそのまま残っているのが目につき、
広場には物乞いをする子供達が沢山いました。
入り口に大きく掲げられている看板の1つは
どんどろの公演のこと。
でも、演目名が間違ってたよ。
(日本では考えられないけど海外では珍しくなかった)
『キヨヒメマンダラ』が正しいんだけど、
『キヨヒマ~』になっていたよ。
泊まるところは学校の宿舎みたいなところだった。
シャワーはいつひねっても冷水。翌々日、お湯の出る時間を突き止めた。
夜は暖房も止まった。ものすごく寒かったのに・・・。
劇場は国立劇場だったのでしっかりしていた。
劇場スタッフが私を見て言ったという。
「あの子はここでは死んだだろう」って。
麗しい国は夢の中のような記憶。
心に残るのは、殺伐として無口になってしまう国。
“岡本人形展示室”のこと、進めてます。
“どんどろハウス”がきれいになったら こんな感じだったかな? |
海外ツアーの写真群に突入しまして・・・。
今日は、沢山行ったどんどろ海外ツアーの中から
総合的な意味で私にとってのベスト3に入る国の1つの
旅写真をご紹介したいと思います。
サラエボ(ボスニア・ヘルツェゴビナ)です。
写真撮影はだいたい岡本さんです・・・。
![]() |
初めて仕事(舞台照明)で行った海外ツアーでした。 |
![]() |
音響の故・山口敏宏さんと。 丘の上の宿舎から市街地に下ってくるところ。 |
我々が行ったのは98年。
ここは3年前の95年まで内戦があったので、
爆撃されたままの建物がそのまま残っているのが目につき、
広場には物乞いをする子供達が沢山いました。
![]() |
劇場の中。外とは別世界。 |
![]() |
劇場の外観。 |
どんどろの公演のこと。
でも、演目名が間違ってたよ。
(日本では考えられないけど海外では珍しくなかった)
『キヨヒメマンダラ』が正しいんだけど、
『キヨヒマ~』になっていたよ。
![]() |
サラエボを発つ前の空港。主要な部分はほとんど破壊されていて 初めてバスに乗るような感覚で国際線の飛行機に乗った。 |
シャワーはいつひねっても冷水。翌々日、お湯の出る時間を突き止めた。
夜は暖房も止まった。ものすごく寒かったのに・・・。
劇場は国立劇場だったのでしっかりしていた。
劇場スタッフが私を見て言ったという。
「あの子はここでは死んだだろう」って。
麗しい国は夢の中のような記憶。
心に残るのは、殺伐として無口になってしまう国。
2012年9月16日日曜日
ミチカ、獅子舞を学ぶ
阿智村に拠点を構え
国内外と活躍されている芸能師(というのかな?)の
加藤木朗さんのところに
獅子舞の勉強に行ってきました。
どんどろは正月三が日
門付け(獅子舞)をしてまわりました。
岡本さんがいなくなって獅子舞をやる機会はほとんどなくなりました。
最近ようやく自分の活動を振り返る事が出来るようになったのと
「獅子舞に来てよ」と声を掛けて頂ける機会もあるので
自分なりの“ゆめひな獅子舞”を出来るようになりたいな、と
とても強く思いはじめました。
最近いろんな現場でお会いする機会のあった
憧れの加藤木さんに思い切ってご相談させて頂きました。
ちょっとお話ししただけなのに
人形遣いとしての私の獅子舞スタイルを提案して頂きました。
加藤木さんから、獅子舞で知っておくべき決まり事、振り、振りの意味を
丁寧に教えて頂きました。
私はその場で忘れないようにノートに振りを書き留めていきました。
(動画はあえて撮りませんでした。)
今は岡本さんの獅子頭を使っていますが
それも自分でMy獅子を作らなければ、と思います。
今2つやりたい事があってその1つが獅子舞です。
もう一つは・・・
人形を作り始めたら、ご報告したいと思います。
獅子舞が自分の身体にフィットするにはまだまだ時間を費やすと思いますが
多くの方に喜んで頂けるようになれたらな、と夢見て励みたいと思います。
国内外と活躍されている芸能師(というのかな?)の
加藤木朗さんのところに
獅子舞の勉強に行ってきました。
![]() |
地元の若手芸能師の憧れの存在。 |
加藤木さんの稽古場。 どこも同じなんだ・・・と、ちょっと嬉しかった。 |
どんどろは正月三が日
門付け(獅子舞)をしてまわりました。
岡本さんがいなくなって獅子舞をやる機会はほとんどなくなりました。
最近ようやく自分の活動を振り返る事が出来るようになったのと
「獅子舞に来てよ」と声を掛けて頂ける機会もあるので
自分なりの“ゆめひな獅子舞”を出来るようになりたいな、と
とても強く思いはじめました。
最近いろんな現場でお会いする機会のあった
憧れの加藤木さんに思い切ってご相談させて頂きました。
ちょっとお話ししただけなのに
人形遣いとしての私の獅子舞スタイルを提案して頂きました。
加藤木さんから、獅子舞で知っておくべき決まり事、振り、振りの意味を
丁寧に教えて頂きました。
私はその場で忘れないようにノートに振りを書き留めていきました。
(動画はあえて撮りませんでした。)
通称“まんが台本”初公開! 私には分かるんです・・・。 |
それも自分でMy獅子を作らなければ、と思います。
今2つやりたい事があってその1つが獅子舞です。
もう一つは・・・
人形を作り始めたら、ご報告したいと思います。
獅子舞が自分の身体にフィットするにはまだまだ時間を費やすと思いますが
多くの方に喜んで頂けるようになれたらな、と夢見て励みたいと思います。
![]() |
加藤木さんの関東公演のご案内です。 お近くの方、是非! |
2012年9月7日金曜日
初演のチラシ発見!!
プラケース2~3杯ほどある(それ以上かな?)
どんどろの写真の整理をしていたら
懐かしい物を発見!
98年私が初舞台を努めた(黒衣です)
『緋色の海の幻』のチラシが出てきた↓
公演場所は大駱駝艦の稽古場で。
宣伝絵師は吉田光彦さん。
脚本・演出が夜行館の笹原茂朱さん。
制作がゆうげい社。
半年ほど毎夜毎夜繰り広げられる
60~70年代の芝居や映画の話に夢中だった。
26歳にもなって、私は
アングラはおろか寺山修司という言葉すら知らなかったから
初めて知るアングラの世界に夢中になった。
でもある日、
岡本さんに
「言っておくけどアングラって褒め言葉じゃないからね」と
釘を刺された。
あまりにも刺激的な話や出会いが多かったので
私はしゃぎすぎたのだ・・・。
私はこの作品で
笹原座長から“紅蓮 瞑(ぐれん めい)という芸名を頂き
99年までその名で活動していました。
当時はみなさんから「めいちゃん」と呼ばれていました。
ああ、時代を感じますね。懐かしい。
どんどろの写真の整理をしていたら
懐かしい物を発見!
98年私が初舞台を努めた(黒衣です)
『緋色の海の幻』のチラシが出てきた↓
公演場所は大駱駝艦の稽古場で。
宣伝絵師は吉田光彦さん。
脚本・演出が夜行館の笹原茂朱さん。
制作がゆうげい社。
半年ほど毎夜毎夜繰り広げられる
60~70年代の芝居や映画の話に夢中だった。
26歳にもなって、私は
アングラはおろか寺山修司という言葉すら知らなかったから
初めて知るアングラの世界に夢中になった。
でもある日、
岡本さんに
「言っておくけどアングラって褒め言葉じゃないからね」と
釘を刺された。
あまりにも刺激的な話や出会いが多かったので
私はしゃぎすぎたのだ・・・。
私はこの作品で
笹原座長から“紅蓮 瞑(ぐれん めい)という芸名を頂き
99年までその名で活動していました。
当時はみなさんから「めいちゃん」と呼ばれていました。
ああ、時代を感じますね。懐かしい。
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