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2013年1月23日水曜日

宮崎駿監督と『宇津神楽』

宇津神楽を通じて、1/20、
宮崎駿監督に初めてお会いする事が出来ました。


 多くの皆様とのご縁をひしひしと感じる一日となりました。
沢山の感謝を胸に。

『宇津神楽』は2011年に発表した、
私にとって重要な演目のひとつです。
一枚の宮崎駿監督のイメージスケッチから始まりました。
もちろん直接頂いたのでは無いですよ。
レギュラー上演している
昼神温泉「石苔亭いしだ」さんより
「宮崎監督からこんな素敵な原案を頂いてるんだけど、飯田さん
人形でやってみない?」とお話を頂いたのです。
その時は、岡本さんもまだ生きていました。
私が『宇津神楽』やるなら自分も関わらないと、と
それまで“自分には無理”と言っていたのに
まるで岡本さんがやるくらいの勢いになって、
少し可笑しかったです。
岡本さんも、宮崎監督のスケッチの横に
衣装のアイデアを描き込んでくれました。
しっかり鉛筆を握ることは出来なくなっていたので
筆圧はなく、文字も何て書いてあるか
誰でもは読めないようなものでした。
「いしだ」の女将と、プロデューサーと岡本さんと私4人で
信大病棟にあるデイルーム(面会の人と団らん出来るとこ)で
打ち合わせをしました。

デイルームで楽しそうな岡本さん。
私は『宇津神楽』の主な登場人物である“ウツオ”は
岡本さんが『風態』という演目で使っていたお面にしようと思っていました。
そのお面はカオナシにそっくりですが、実は
『千と千尋~』よりも随分前に作られたモノです。
カオナシに似ていたから選んだのでは無く
“絶望顔”というアダ名の、そのお面が
私のウツオのイメージにぴったりだったからです。

“ウツオ”
岡本さんが逝って、私は一人になって、“百鬼ゆめひな”になって
初めて作った顔が“麻琴”でした。
女の子の人形とお面の顔です。私にとって“麻琴人形”は
絶望の中にある唯一の希望の光でした。

“麻琴”
『宇津神楽』は悲しみの中で作り上げました。
色んな方の支えがありましたが
それでも持て余すほどの孤独でした。
岡本さんが不在の世界を想像もしていなかったので
それを受け入れられない思いを、創作にぶつけていました。
祈りに近い作業でした。

そして『宇津神楽』は多くの方に喜ばれる演目となりました。
宮崎駿監督と、我が師匠・岡本芳一の二人の偉大なアーティスト、
地元の神楽実行委員会の皆さん、
障遣願舞シリーズのプロデューサー、
県の助成金、その他
沢山の皆さんのお力添えに助けられて出来ました。

純粋無垢な心を持った少女の夢が
鬱々とした世界と、鬱々とした人の心をはらして
多幸を願うという舞です。
私は悲しい気持ちで作りました。
なので、人の幸せを願う心に偽りはないと自負しています。

“淵の森”です。山の中では無いですよ。
東村山の、とある駅の裏です。



レギュラー上演している昼神温泉 石苔亭いしだ のバスに乗って、
南信州チーム12名で、
宮崎駿監督が会長の『淵の森保全連絡協議会』
http://www.fuchinomori.com/ の
ボランティア作業に参加してきました。興味のある方、是非!

 『宇津神楽』、原案の宮崎駿監督にお会いできた事で
更に大切な作品になりました。
大事に上演していこうと思います。