宮崎駿監督に初めてお会いする事が出来ました。
多くの皆様とのご縁をひしひしと感じる一日となりました。
沢山の感謝を胸に。
『宇津神楽』は2011年に発表した、
私にとって重要な演目のひとつです。
一枚の宮崎駿監督のイメージスケッチから始まりました。
もちろん直接頂いたのでは無いですよ。
レギュラー上演している
昼神温泉「石苔亭いしだ」さんより
「宮崎監督からこんな素敵な原案を頂いてるんだけど、飯田さん
人形でやってみない?」とお話を頂いたのです。
その時は、岡本さんもまだ生きていました。
私が『宇津神楽』やるなら自分も関わらないと、と
それまで“自分には無理”と言っていたのに
まるで岡本さんがやるくらいの勢いになって、
少し可笑しかったです。
岡本さんも、宮崎監督のスケッチの横に
衣装のアイデアを描き込んでくれました。
しっかり鉛筆を握ることは出来なくなっていたので
筆圧はなく、文字も何て書いてあるか
誰でもは読めないようなものでした。
「いしだ」の女将と、プロデューサーと岡本さんと私4人で
信大病棟にあるデイルーム(面会の人と団らん出来るとこ)で
打ち合わせをしました。
デイルームで楽しそうな岡本さん。 |
岡本さんが『風態』という演目で使っていたお面にしようと思っていました。
そのお面はカオナシにそっくりですが、実は
『千と千尋~』よりも随分前に作られたモノです。
カオナシに似ていたから選んだのでは無く
“絶望顔”というアダ名の、そのお面が
私のウツオのイメージにぴったりだったからです。
“ウツオ” |
初めて作った顔が“麻琴”でした。
女の子の人形とお面の顔です。私にとって“麻琴人形”は
絶望の中にある唯一の希望の光でした。
“麻琴” |
色んな方の支えがありましたが
それでも持て余すほどの孤独でした。
岡本さんが不在の世界を想像もしていなかったので
それを受け入れられない思いを、創作にぶつけていました。
祈りに近い作業でした。
そして『宇津神楽』は多くの方に喜ばれる演目となりました。
宮崎駿監督と、我が師匠・岡本芳一の二人の偉大なアーティスト、
地元の神楽実行委員会の皆さん、
障遣願舞シリーズのプロデューサー、
県の助成金、その他
沢山の皆さんのお力添えに助けられて出来ました。
純粋無垢な心を持った少女の夢が
鬱々とした世界と、鬱々とした人の心をはらして
多幸を願うという舞です。
私は悲しい気持ちで作りました。
なので、人の幸せを願う心に偽りはないと自負しています。
“淵の森”です。山の中では無いですよ。 東村山の、とある駅の裏です。 |
レギュラー上演している昼神温泉 石苔亭いしだ のバスに乗って、
南信州チーム12名で、
宮崎駿監督が会長の『淵の森保全連絡協議会』
http://www.fuchinomori.com/ の
ボランティア作業に参加してきました。興味のある方、是非!
『宇津神楽』、原案の宮崎駿監督にお会いできた事で
更に大切な作品になりました。
大事に上演していこうと思います。