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2012年6月5日火曜日

悪夢の大事故から8年

6/4は忘れもしない、
今から8年前、どんどろのメンバー5人で
中央道で東京から帰ってくる途中、
大事故にあった。
後方から140キロの猛スピードで走行していた車が
我々の車を追い抜く際に、ハンドル操作を誤って
激突してきた。
凄い音をたてて車は横転し、止まった。
メチャクチャの車内で全員声を出して
無事を確認しあった。
一人返事が無かった。いない?暫し沈黙の後、
車外放出か?!と気づき、唯一脱出出来たサンルーフから
飛び出した。
8メートルくらい先の路肩で発見。
生きてるとはとうてい思えない様子だった。

岡本は後部座席でたまたまシートベルトをしていて無事。
まだ後部座席のシートベルト着用が
義務づけられる前だったにも関わらず。
他の2名も私も無事。
1人だけ重傷だった。

重傷者が救急車で運ばれていって、
私は血の気が引いて立っていられなくなり
高速道路の上で横になった。
そしたら私も救急車に乗せられた。
搬送中、隊員さんに質問された。
「××××なところは無いですか?」(内容は忘れた)
恐縮していた私は
「大丈夫です」と答えたら
「質問にちゃんと答えて下さい!」と怒られた。

病院に搬送されて診察ベッドで
目を開ける事が出来ず、寝ていた。
「大丈夫?目、開けられる?」
医師の優しい声がした。
私はゆっくり目を開けた。
私の顔を覗き込んでいる医師の姿がぼんやり見えた。
そして焦点があって、医師の顔がハッキリ見えた。
私はビックリした。
私の顔を心配そうに覗き込んでいる医師は
バリバリのメイクをした男性だった。
私の目はぱっちり開いた。

診察ベッドから起き上がると
裸足なのに気付いた。

そこにはバックと靴が揃えてあった。
私がダメになってる間
他のメンバーはこういう事を冷静に対処してくれていた。

その後、みんな精神的にも肉体的にも苦しんだ。
1ヶ月、お互いを癒すように残りの4人で
ずっと一緒に過ごしてた。
(岡本はすっかり大丈夫だったけど)

あの頃はどんどろもメンバーも安定して
もっとも穏やかだった時代だったかもしれない。
事故はそれが崩壊する一発目の「音」だったのかな、と
今は思います。


2012年5月30日水曜日

鈴木、巣立つ

約4ヶ月、見習いとして同居していた鈴木が
今日同居を卒業し、近くのアパートに越していった。
そこは私が東京から失意のもと伊那谷に戻り、
思いがけない岡本の死、バイト三昧
宇津神楽作成、そして
ここの改築が終わるまで
1年間暮らしたアパート。
私の再出発を温かく見守ってくれた場所。
鈴木も同じところから始まっていくようだ。


見送った後、気分が良かったので
近くのお地蔵さんまで歩いた。



2012年5月24日木曜日

すごい朝ご飯

ここのところ、週5は
7時台に起き、朝ご飯を食べて、
弁当とコーヒーとお茶を持って、
片道1時間車を運転し、
現場へ向かう。
11時と13時半に舞台、
最後に盆踊り。
その後帰宅し、
ひととおり家事をし、
後は人形を作ったりと、
何かしら作業に追われている。
そして深夜2時頃、就寝。
土曜日は帰宅せずに
もう一ヶ所の現場で
20:30からの舞台をして
夜中に帰る。
休憩もしてるし、テレビも見る時間もあるが
まあ、そこそこ体力が必要な生活なのでは、と思う。

とにかく午前中に本番があるので
朝だるいと、がっかりなのである。

先日???と思う体調の時があった。
午前中の舞台の時、今からまさに本番という
袖でスタンバっている時に
良い意味で「えっ?!」と感じた。
「何だ何だ?このエネルギーがみなぎる感じ。
おや?元気が違うぞ。
今日は一番消耗している日なのに・・・何故だぁ」
と、自分の体調に衝撃を受けた。何がいつもと違ったか?
といえば・・・そうだ、朝ご飯だ!
その日は「とりあえず酵素でも摂るか」と
“玉子かけご飯”を食べたのだ。
私はどちらかというと生玉子は苦手なので
普段はそんなに食べない。
この日も黄身はそのままで
白身1/3の割合にした。

それ以来、朝ご飯は“玉子かけご飯”にしている。
ちなみに安い玉子ではなく、
そこそこの赤玉にしている。

今日は睡眠時間が3時間程と体力的には
結構ピンチだったのに
“玉子かけご飯”で普通に元気だったと思う。




2012年5月22日火曜日

大事な型が見当たらない

人形の顔を創るとき、
油粘土で造形して、それに石膏をかけて
型を取る。
今度はその石膏型に
膠(にかわ)を浸して絞った和紙を
張り込んでいく。
乾いたら、張り込んだ和紙を抜く。

今私の演目で活躍している
岡本作の面の石膏型がどうしても
見当たらない。
あれどこにやったの?って聞かなきゃ、って
普通に思って、あー・・・と思う。

まさかこんなことになるとも思わず
岡本がまだ元気だった頃
ゴミ同然に山積みに放置されていた石膏型を
キチンと整理しようと促した。
一つ一つ確認して、名前を書いて保管していった。
私はその中に「清姫」だの「小町」だのといった
重要な型の救出の事だけ考えていた。
(女の悲しい直感がそうさせたのだろうか・・・)

その今でも活躍しているお面は
目、口の3つの穴が開いているだけのもので
通称“無垢面”と呼んでいた。
岡本は好んでそれを何種類も沢山作っていた。
廃棄したものも沢山あった。
無いという事は、良い面だと分からず
破棄してしまったんだな、と残念に思う。

面の状態が健全なうちに
油粘土の造形から
自分で再現しなければ、と思う。
“無垢面”は一見、穴が開いているだけの何でもないお面。
だけどその穴の大きさ、微妙な位置がちょっと違っただけでも
全くニュアンスが変わってくる。
自分が「これでなければ嫌だ!」と思っているので
今年中には取り掛かりたいと思っている。

直ぐ名前書いておかないと、作った本人ですら
どの人形の顔なのか分からなくなるのです・・・。
5/21の読売新聞、中南信地域枠に
記事が掲載されました。

















2012年5月14日月曜日

“せいたか”という人形

「みちかも“せいたか”つくりなよ」
岡本は晩年良くそう言っていた。
背がとても高くなる形状の人形だったので
通称“せいたか”と呼んでいた。
腕も手も脚も足も無い
頭(かしら)・胴串に肩板だけ。
それに打ち掛けを着せ付けただけの
原始的な人形。
故に見せるには高度な人形だと思っている。
背丈や身体を自在に変化させていく
奇っ怪な人形。見た瞬間目を引く。
だけどふとした事でつまらなく見えてしまう。

私は以前は岡本の“せいたか”の演目は
さほど好みでは無かった。
岡本は“せいたか”がお気に入りだったので
「いまいちタイプじゃない」という私に
「どうして???」と不思議顔だった。

現在、無性に“せいたか”を遣ってみたくなった。
今から人形を製作してみたいと思う。

多忙すぎて思うように準備は出来ず
岡本の命日の7/6に近いところでは
発表出来ないかも知れないし
詳細も未定だけど
岡本の3回忌に向けて、自分の作った“せいたか”で
舞ってみたいと考えています。
その時は必ずまたご案内します。

『幽か夜(かそかよ)』の“せいたか”
写真/唐木孝治

2012年5月3日木曜日

こちらが本当の写真でした(汗

昨日の“椿に埋もれた人形”
伊藤さんの写真にしてはちょっと・・・、
と、思っていたら、
自分が携帯で撮ったものでした☆

こちらが本当です。
(一部です)
撮影/伊藤 敦

2012年5月2日水曜日

椿に埋もれた人形

先日、写真撮影をしました。
うっかりしていたら桜の時期が過ぎていて
「椿ならある!」ということで
人形を寝かせて
椿、カキツバタ、ヤマモモとかで
囲んで見ました。

人形は「雛がたり」の少女。
これは自分で携帯で撮ったもの。